コロナ禍について

このところパソコンの調子が悪くて。
弥次喜多道中記の続きを書こうと思っていたのに。
この中断で道中記の内容を改めて考えているうち
あれもこれもと思い出が噴出してきた。
どうにもまとまらなくなってしまったので
続編はもっと練ってからにしようと考えるようになった。


さて最近の新型コロナ禍は間違いなく中国起源のものだろう。
雲南では何千年もの間、こうもりを食べてきた。
しかし今のような感染症が出たなんて聞いたことがない。
多分、このウイルスは武漢の研究所であれこれ遺伝子操作をして作ったものだろう。
中国人は一人一人はいい人なんだが集団になるとね。
特に官僚主義で責任をあいまいにし隠ぺいするのが常套手段だし。
それと中国では信じられないような事件も起きる。
ちょっとのんびりしたというか、いい加減なところも多い。
だから研究者はしっかりしていても、
ゴミ処理人員が適当なことをやってウイルスを
拡散してしまったことだってありうる。
ただ武漢をロックして外部からの検証をさせなかった。
またロックしている時期に徹底的に証拠を消し去っているだろう。
今となっては追及のしようがないのだ。
世界中を災厄に巻き込み人々を苦悩させた国が
偉そうに大国気取りでいることには腹が立って仕方がないけどね。

40年前の弥次喜多道中記5

広州駅についてまず入国審査。
日焼けして無精ひげのS、持っているパスポートはよれよれ。
心配だったワシはSのすぐ後ろに並んだ。
案の定、入国管理官は不審な目でSを見て、
難しい顔で同僚と何やら話している。
仕方なしにワシは「Sどうした?」と声をかけた。
すると入国管理官はワシを手招きして
この男と一緒かと聞いた。
あれこれ10分ほど事情を話して何とか入国できた。
税関を抜け駅舎を出ると親戚や知り合いを待つ人の波。
人々のにおいを逃れると埃っぽい広場に出た。
Sはきちんとしたホテルではなく
外国人バックパッカーのいる宿はないかという。
そのほうが旅行情報を集めるのに都合がいいからだそうだ。
ワシは二週間後から広州の師傳のところに入門する。
それまでは一緒にいられるが、そのあとSは一人旅だ。
それを考えSの希望するユースホステルに泊まることにした。

40年前の弥次喜多道中記4

寝ているSを起こして近くのサンプルショップに出かけた。
とにかく薄汚れたSを何とかするためだ。
100香港ドルを使って上から下まで買い込んだ。
当然、ビーサンを捨てさせて靴を履かせた。
なぜかというと中国旅行社に行って探親ビザという
華僑と外国人用の中国入国ビザを申請に行くためだ。
あまり汚い恰好では発給してくれない恐れがある。
スターフエリーに乗って香港島へ渡り、中国旅行社に行って無事申請を終えた。
ビザは明日受け取れるから今日一日はフリーだ。
Sに行きたいところはあるかと聞くと別にないと言う。
じゃあ馬券の払い戻しをしてから飲茶でもしようということになった。
午後はビクトリアピークの展望台に行ったり、
骨董街をぶらぶらして過ごした。
翌日の広州行きの直通列車の切符も手に入れ
中国行きの準備は整った。
明日ビザを受け取ったら、その足で九龍駅から出発だ。