40年前の弥次喜多道中記3

部屋に戻るとSは真剣な顔をして予想紙を広げた。
二時間もそうして予想紙とにらめっこしていた。
香港の馬券の種類を調べていたSが「よし決めた」と叫んだ。
六つのレースの一、二着を当てる六環彩を買うというのだ。
「うまくすると百万になるかもしれない。悪くても
二十万にはなりそうだ」と鼻息が荒い。
「イギリスでも南アフリカでも勝ったから大丈夫だ」
外れることもあるなんて全く考えていないらしい。
10香港ドルの馬券を20通り買うという。
一緒に買おうよとしつこいのでワシも乗ることにした、
競馬場に行くのは面倒なので街中の馬券売り場で買うことにした。
当時の香港の物価から言えば200香港ドルはちょっとした金額だ。
散財したから夕飯は倹約することにした。
香港島の夜景の見える屋台でビールを一本頼み、
海老の団子の入った麵と油菜(菜花のおひたし)で済ませた。
六環彩は最後から六レースを当てる馬券なので
港をぶらぶら散歩してから部屋に帰った。
Sは旅の疲れが出たのかソファーで居眠りを始めた。
テレビの競馬中継を見ていると
四つ目のレースまで買った馬券のうち四枚が当たっていた。
そして五レース目で一枚が残った。
寝ているSを起こして最終レースを待った。
このレース、Sが選んだのは人気薄の一頭だった。
レースは激しい先行争い、選んだ馬は後方のまま。
ゴール前人気のある馬が一頭抜け出し、やや離されて数頭が。
そのまま団子状態でゴールイン、写真判定となった。
かなり長い時間かかって結果が出た。
「やったー!」Sが万歳をした。
配当はなんと28000香港ドル、90万近くになった。
シェアハウスの全員が大騒ぎ、お祝いしなきゃとワシは買い物に。
結局、明け方まで飲んだり食ったり大盛り上がりになった。

40年前の弥次喜多道中記2

東京ではオリパラに向けてあちこちで工事が行われている。
国民の過半数が反対しているオリパラ。
コロナ禍の中でどうなるんだろうね?
まあ始まってしまえば日本人の性向から
結構盛り上がってしまうかもよ。


さて話を40年前に戻そう。
11時くらいにやっと起きだしたSを飲茶に連れて行った。
いつも行くレストランはSの服装と
薄汚れたビーチサンダルを見てボーイが嫌な顔をした。
仕方なしに少し歩いて港の労働者が使っている店に連れて行った。
お茶を飲みながら点心をつまんでいると
隣のテーブルでにぎやかな声がした。
見ると競馬の予想紙を囲んで
ああでもないこうでもないと言い合っているのだ。
それを見たSが今日、競馬があるのかと目を輝かせた。
中国行きの旅費稼ぎに買おうかなという。
聞けば南アフリカでひと勝負して
儲けた金でアフリカ大陸を縦断できたのだという。
今日は水曜日だから夜、快活谷の競馬場でレースがあるはずだ。
食事を終えるとSは道端の新聞スタンドに行って
英語と中国語の競馬紙を買い込んできた。

40年前の弥次喜多道中記1

40年前のある日のこと、ワシは九龍のアパートで昼寝していた。
師事していた師父がカナダに移民してしまったため
当面やることがなくなってしまったのだ。
シェアしていた部屋のドアにノックの音。
出てみるとアメリカから香港に語学留学しているピートがいた。
あなたに友達が訪ねて来たという。
鉄格子のはまったマンションの入り口に行くと
日に焼け髭面の汚い男が立っていた。
それはもう何年も会っていなかったSだった。
ワシの後ろにはモップを構えたピートが。
怪しい男にワシが危害を加えられるのではと心配してくれたのだ。
取り敢えずピートには友達だから大丈夫だと安心させてやった。


エスはある老舗の商店の長男でありながら
狭い日本には住み飽きたと海外放浪に飛び出した。
聞けばアフリカを回っての帰りだという。
この後アメリカで永住権を申請するのでその前にあちこち回っていると言う。
実家に連絡したらワシが香港にいると聞いて訪ねて来たらしい。
まだ中国に入ったことがないから一緒に行かないかという。
こっちもどうせ暇だからそうしようかということになった。
これが珍妙な弥次喜多道中の始まりだった。